現在は状況が異なる可能性がありますのでご注意ください。
山口滞在中の記事を混ぜながらアップしています。
先日の写真の答えです!!
では、矢印の方へ進んでみたいと思います。
殆ど社会科見学ですね・・・。
セメント徳利窯。
国指定重要文化財(建造物)。および、山口県指定有形文化財(史跡)です。
高さは17.8mです。煙突頂部内径が1.12m。焼成部内径が4.28mです。
これは今近代的な屋根が途中から覆ってしまっていますが・・・、明治14年(1881年)に、日本初のセメント会社として設立した小野田セメント株式会社で、創業時の明治16年(1883)年に操業を開始した4基のうちの唯一現存する最古のセメント焼成窯です。
屋根は劣化対策の為に設けられたもので、本来の姿は煉瓦造りの徳利の形をした建造物です。
窯の最上部。
私だったら牛乳瓶窯とでも名付けたい形・・・。
当時のセメント作りの行程は簡単に書くとこんな感じ。(詳しく書くと色々とあります。)
徳利窯に原料(石灰・泥土混合)、燃料装填する。
(鉄製の平らな火床の上に、松の枯れ枝を敷いて、その上に石炭、さらに原料を積む・・を12~13段ほど積み上げる。)
↓
点火
↓
焼成
(平均7昼夜かかる。)
↓
焼塊を取りだし、選別。
↓
焼塊粉砕
(当初は1時間当たり250kg。そのうち500kgを粉砕できるようになった。)
↓
粉砕されたセメントをふるい分けする。
精粉はセメント風化倉へ。他は再び、粉砕する。
↓
精粉は風化させる。
(方法は工夫されながら床上に1m位積み、時々打ち返すのが効率が良いと分かる。)
↓
風化完了
↓
樽詰めし出荷
という効率の悪い作業だったようです。
この徳利窯では7昼夜でクリンカ(セメントの半製品)を10t作ることができました。今の標準的な設備では1日に3,000tものクリンカを作ることが出来ます。
明治30年代にデイーチュ窯が、大正2年には回転窯が出来ることで、同年にこの窯は廃止されました。
子どもには難しいので、コンクリートなどを作るのに使われるセメントは、珊瑚からできているっていうような説明になってしまいました。
このレンガは当時徳利窯につかわれていたものです。
そして絵は当時の様子。
窯の上部です。
窯の穴です。
そのセメント徳利窯の傍から見える海・・・・。
この辺りは本当に工業地帯なんですね。
この市内には『セメント町』という地名があり、そこが小野田セメント(現・太平洋セメント)の創業した場所なのだそうです。因んだお菓子、せめんだるという最中がお土産にも有名だそうです。
せめんだる(菓子)→こちらのお店
セメント徳利窯はこの太平洋セメントさんの敷地の端にあります。
今日はのんびり温泉に浸かってこようと考えています!
旧小野田セメント徳利窯
http://www.city.sanyo-onoda.lg.jp/profile/bunkazai/01-02.htm
山口県山陽小野田市大字小野田6276番地