寝台列車「はやぶさ・富士」のお泊まり

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現在は状況が異なる可能性がありますのでご注意ください。

すっかり鉄子になってしまいました。

「鉄子の部屋」にようこそ!(笑)

はやぶさ のヘッドマーク

 

(はやぶさのヘッドマーク・複製・新山口駅)

はやぶさ・富士に乗った私たち・・・・。(はやぶさ・富士の記事は今回でラストです。)
このヘッドマークは・・・・。
私たちの乗った寝台列車ではなく、独立したはやぶさとして活躍していた時代の複製です。

1958年、東京-博多間の特急として登場し活躍した。
現在では「富士」と併結して運行されている。       (新山口駅の展示より)

寝台列車 富士・はやぶさのヘッドマーク

私たちが先日乗車したのが、こちら。
寝台列車「はやぶさ・富士」。今更ですが、こちらはブルートレインともいわれています。
門司ではやぶさ(熊本行き)と富士(大分行き)に分かれます。

因みにはやぶさのネーミングの由来は

ハヤブサにちなむが、運行開始当初では特別急行列車の愛称として鳥類のものが充てられただけではなく、東京駅~大阪駅間ビジネス特急の愛称として公募した際に佳作として選定され、特別急行列車に使用することが決定されていた名称でもある。また、鹿児島県の男子を指す美称「薩摩隼人」にちなむ命名とも言われている。(wikipediaより)

横浜(18:28)から、熱海(19:35)、沼津(19:53)、富士(20:09)、静岡(20:36)と段々に暗くなる窓の外を見ながら、駅弁で夕食タイム。
静岡を過ぎて、夜21時に過ぎにその日の最後の車内放送がありました。

翌朝は6時過ぎより、車内放送の再開があるということ、それまでに停まる駅の案内と予定時刻。翌日の朝の車内販売のこと、車掌がいる号車などの説明があり、消灯。

完全に真っ暗、ということはありませんが、デッキ以外は薄暗くなりました。
そして開放型B寝台も読書灯がありますが、その頃までにはだいぶ皆さんお休み体制に入られて、それぞれカーテンを閉められて巣作りをされていました。

私も22時半くらいまではレオのどったんばったんという、騒ぎに付き合いどうにか起きていたのですが、静かな車内、カーテンに囲まれた幅約70センチ×長さ約195センチの空間で、まもなく眠ってしまいました。
朝は主人が5時前、私が5時ジャスト、アンが5時半、レオが6時と見事に早起きしたんですよ。

朝の車内販売は柳井(6:23)あたりでワゴンが乗ってきたのではなかったかと思います。でも、私達の前を通るのは下松(6:53)か徳山(7:17)あたりだったので、特に何も買いませんでした。

山口県は広い。
錦帯橋のある岩国と九州よりの下関では、この寝台列車だと
岩国(5:57)→下関(8:32)と約2時間半もかかるんですよ。

明るくなったので、車窓から見慣れない風景を家族で楽しみました。

車窓から

寝台列車「はやぶさ・富士」の車窓より、朝の大島大橋(山口県)。

大島大橋おおしまおおはし)は、山口県柳井市周防大島町間の大畠瀬戸に架かる全長1,020mの3径間トラス橋。1976年7月4日日本道路公団により一般有料道路として開通し、1987年6月1日山口県道路公社に事業譲渡。1996年6月1日に無料開放となった。

この橋の開通により、国鉄大畠駅~小松港間に運航していた大島連絡船(大島航路)が廃止されている。

他の県にも同じ名前の橋はあるようですが、こちらは山口県の大島大橋でした。

そのほか、ハスの畑が広がるところなどの景色もみました。(レンコン畑です。)

 

朝の車内

荷物を降ろして、降車準備オッケーです。

スハネフ15-1

客車の形式。
寝台列車はやぶさ・富士号、お世話になりましたー!!

というわけで私達、山口に無事到着し、主人の実家で朝食を頂きました。
既に山口からは帰ってきています。寝台列車のお話はここでおしまい。
また、書きたいことが出てきましたら、今まで書いた記事に追加、編集などしていきたいと思います。

(私は過去記事も記事や画像を追加したり、リンク先を訂正しています。記事が増えてきて管理が十分ではありませんので、リンク先がなくなったり、おかしな部分がありましたらご連絡頂けたらありがたいです。過去にアマゾンのリンクを貼ったものの中には画像が無くなっているものもありますが、こちらは今のところ手直しをしておりません。よろしくお願いします。)

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内容が被ったりしていますが、たくさん書きましたね~。