トルコ土産と親日家の話

ハワイ編、長くなっていますので、今日は別の話を。

トルコ土産

母が夏休み中にトルコへ行ってきました。
トルコって非常に親日家が多いんですって。歓迎を受けて楽しく過ごしてきたようです。

トルコに親日家が多い理由ってみなさん、ご存じですか?

トルコが親日家が多い理由は・・、むか~しむかし・・・、
明治23年(1890年)のこと、11ヶ月かかってトルコ(当時はオスマントルコ)から日本との条約締結のためにやってきたトルコの将兵をのせたエルトゥールル号が、台風のため、和歌山県串本沖で遭難した事がきっかけでした。

紀伊大島の樫野崎に連なる岩礁に激突、座礁したエルトゥールル号は機関部に浸水して水蒸気爆発を起こし、沈没した。これにより、司令官オスマン・パシャをはじめとする587名が死亡または行方不明になる大惨事となった。

このとき、樫野埼灯台下に流れ着いた生存者は、数十メートルの断崖を這い登って灯台に遭難を知らせた。

灯台守の通報を受けた大島村(現在の串本町)樫野の住民たちは、総出で救助と生存者の介抱に当たった。この時、台風により出漁できず食料の蓄えもわずかだったにもかかわらず、住民は、浴衣などの衣類、卵やサツマイモ、それに非常用のニワトリすら供出するなど、献身的に生存者たちの回復に努めた

この結果、樫野の寺、学校、灯台に収容された69名が救出され生還することができた。

遭難の翌朝、事件は樫野の区長から大島村長の沖周(おきしゅう)に伝えられ、沖は神戸港の外国領事館に援助を求めて生存者を神戸の病院に搬送させるよう手配するとともに、県を通じて日本政府に通報した。

知らせを聞いた明治天皇はこの遭難に大いに心を痛め、政府として可能な限りの援助を行うよう指示したと伝えられる。こうして遭難者に対する支援が政府をあげて行われ、10月5日に東京の品川湾から出航した日本海軍の「比叡」「金剛」2隻により、生存者たちは翌1891年)1月2日にオスマン帝国の首都イスタンブルに送り届けられた。

エルトゥールル号の遭難はオスマン帝国の国内に大きな衝撃を呼んだが、専制君主アブデュルハミトのもとでは人災としての側面は覆い隠され、天災による殉難と位置付けられ、新聞で大きく報道されるとともに、遺族への弔慰金が集められた。またこのとき、新聞を通じて大島村民による救助活動や日本政府の尽力が伝えられ、当時のトルコの人々は遠い異国である日本と日本人に対して好印象を抱いたといわれている。

(wikipediaより)

エルトゥールル号での大遭難で587名は亡くなりましたが、69名は僅か60戸ばかりの小さな大島村の人々の献身的な救出と手当に寄って助かり、日本海軍の船でトルコへ帰還できたというお話しなのです。

これだけでも感動的なのですが、この話、私はあまり知りませんでした。確か「地球の歩き方」にその事が書かれていたのを覚えていたのですが、トルコと日本の関係にはまだ話の続きがあるのです。

1985年(昭和60年)3月。イランはイラクと戦争状態にあり、当時のイラク大統領、サダム・フセインが突如テヘランへの空爆を宣言しました。
宣言から48時間を過ぎた場合、国籍に関係なくイラン上空を飛行する全ての航空機をも撃墜すると発表。次々外国人はイラン国外へ脱出していきましたが、日本からの救援機は飛ばず、日本人200名だけが取り残されたのです。

救援機の安全が保証できないため、航空会社との交渉に時間がかかったため、間に合わなかったようなのです。

この危機的状況を救ってくれたのが、トルコの人たちなのでした。
トルコの救援機は取り残された日本人を乗せ、すぐ空港を出発。タイムリミット80分前の事でした。その時の取り残された日本人は皆助かったのです。

この時、トルコの人たちが命がけで日本人を助けてくれたことを理解できない人もいたようです。
日本政府が多額の経済援助をしていたから、などいう人もあったようです。

しかしそれは違います。
トルコでは小学校の教科書にエルトゥールル号の話が出てくるのです。ですからトルコの人ならみな、エルトゥールル号の話は知っているのです。それで困っている日本人を助けたのです。(当時のトルコ在日大使の発言から)

国と国との関係は微妙で、とても難しいことばかりが目に付きますが、こういった国と国との関係もあるのかと思うとすごく嬉しく思いました。
人と人との関係もお互いに思いやらないと、上手くいきません。
それは国と国との関係もそうなのではないかと思います。

私は政治には詳しくありません。ですが、国交問題はお互いにだまし合いというか、取り引きばかりが目立ち、損得ばかりで動いているように見えます。
しかしもっと違うあり方もあるのではないか、と思いこの記事を書きました。

過去戦争でいろんな国同士に諍いがありました。
それをチャラにとはいいません。ですがこれからはもっと進歩的に歩み寄るような国同士の関係があったらもっと世界中に平和が訪れるのではないかと思いました。

このブログでは政治的なことは扱いませんし、私も語りませんが、これは別の話、心のありようです。ですから私は子ども達に好意的に他の国々が好きになるように語ります。そして当然、日本の国も愛して、自分の国のこを語れる人になって欲しいと思っています。

さて今更ですが、お土産の話に戻ります。

トルコの綿飴

これはトルコの綿あめです。
箱の写真の様な感じにま~るくなっていますので、これをほどくようにして頂きます。日本の綿あめより羊毛っぽい感じ。そしてちょっとココナッツ風味といった感じです。
正直なところ、日本の綿あめより美味しいです。

トルコのゼリー

こちらはトルコのゼリーです。
日本でもオブラードに包んだゼリーがありますよね。それをもうちょっと硬くした感じです。

粉砂糖がかかりすぎてよく分からないと思いますが、ピンク、イエロー、グリーンの3色になっていました。これもそれなりに美味しいのですが、結構甘いので、そういくつも食べられませんでした。

トップ画像の目玉はご存じの方も多いと思いますが、お守りです。
あの目が魔除けになるのです。アンは「めだ

コメント

  1. やっこ より:

    主人の両親も何年か前にトルコに行ってきました。
    トルコは親日家が多い話は、以前何かの番組で見たことがありました。 そういう美談を裏切ることのないよう、私たちもよき日本人でありたいですね。
    お土産はトルコ石のペンダントと、カッパドキアの彫刻が施されたボトルに入ったトルコワインと特大サイズの目玉のお守り。
    お守りは玄関のシューズボックスの脇に飾ってあります。
    お菓子類はありませんでしたが、綿菓子、食べてみたいです。
    お母様はおひとりでトルコ旅行されたのかしら?
    すごい~!

  2. あおい より:

    母はツアーですよ~。ひとりで旅行するタイプではないんです。トルコ石ってやはりトルコにあるんですね。母にはいつも子どもの物を頼んで居るんですけど、子どものものが手に入らなかったって言っていました。
    いい話でぐっ、と来たので、ご紹介したくなりました。私も自分で訪れてみたい国のひとつです。