現在は状況が異なる可能性がありますのでご注意ください。
(宮川周辺で、上社の氏子さんたち)
日本三大奇祭のひとつ、長野県諏訪地方の御柱祭(おんばしら)についてお話ししています。
前振りで既に2記事書いています。
もし御柱祭にあまり詳しくない方でしたら、この2記事を読んで頂けると御柱祭への理解が高まるかと思います。
また、タイトルに「諏訪地方」と書きましたのは、この御柱祭、諏訪市だけのものではないからです。始めにご承知おき下さい。
さて御柱祭は諏訪大社の神事の中で、もっとも大きなイベントです。
平安時代以前が起源といわれ、7年に1度の寅年、申年に行われています。
この7年に1度のイベントの為に引く綱を用意し、熱心な氏子さんたちはこの祭りの為に働き、生きていると言っても良いくらい気合いの入ったお祭りなのだそうです。。
山から16本のモミの大木を曳いてきて4つの宮(上社の本宮、前 宮。下社の春宮、秋宮)の社殿の四隅にその大木(柱)を建てるのが御柱祭なのですが、な んせ何トンもある大木ですから、16本運んでくるのが大変なのです。成長するのが早いと言われるモミの木でさえ、同じ山から切り出すのは難しく、別々のところから切り出しています。
祭りの担当は上社、下社それぞれの氏子さんたちがクジで決めるそうです。
御柱祭りの流れは↓。(スケジュールは2010年、今回のものです。)
上社
※上社の御柱には目処梃子(めどてこ)と呼ばれる、角のようなものが柱の前後にあります。
対象となるもみの木は山だしの約1ヶ月前に切り出され、その柱は1本当たり10トンもの重さがあるそうです。
これは富士見町の道の駅にあった、上社の御柱を模した遊具です。
触覚みたいなのが目処梃子(メドテコ)です。いつ頃から付けるようになったのか不明なのですが、大正時代の写真にはメドテコがついたものがあるそうです。
下社の御柱にはこのメドテコがありません。上社は男神だから角がつく、とかバランスをとりやすくするとか、メドテコの発祥の謂われがありますが、本当のところははっきりわかりません。
木落しの際には長いメドテコにつけ替え、たくさんの人が乗れるようにする地区もあるそうです。
私より(ジーンズで前に立っているのが私ですが。)前に太い2本の綱があるのが確認できると思います。右が男綱、左が女綱と呼ばれていますが、男女に分かれて綱を曳くわけではありません。
この太い綱の他に、メドテコを曳く綱(この写真では三角コーンに繋がっている綱)があり、これは命綱。そして御柱の最後尾につながっているのが追いかけ綱といいます。
八ヶ岳農業実践大学の近くの『綱置き場』からスタート。
↓
山だし(茅野市、原村境の綱置場から茅野市安国寺の御柱屋敷までの御柱街道と呼ばれる約12kmの行程を柱を曳いていくことを言います。)、
- 穴山の大曲(4/2)・・茅野市玉川の穴山地区にある、難所。左90度曲がり角の急カーブで時に民家を損傷することがあります。
↓ - 木落とし(4/3、4)・・目処梃子に氏子を乗せたまま、約30度ある坂の傾斜を約80m下ります。祭りの中で一番危険な場所でありますが、見せ場でもあります。
↓ - 川越し(4/3、4)・・川幅約40m宮川を渡ります。↓
ここが宮川です。
私たちは川越しは見ることができませんでしたが、このすぐ近くが川越しの場所でした。川幅は殆ど同じだと思って頂いて良いかと思います。
4月の頭ですからまだ川は雪解け水に等しく、かなりの寒さになります。上社最大の見せ場になります。時に流される氏子さんも出ますが、周囲にレスキューの方たちがいて助け出します。
- 御柱屋敷・・ここで樹皮を剝き、里曳きまで待機です。昔は剝いていなかったそうですが、wikipedeiaによると・・1986年頃一部の地域でやり出したことが広まったそうです。
↓
里曳き(5/2、御柱屋敷を出発)・・前宮は御柱屋敷から1km弱、本宮は同2.5kmの道程です。騎馬行列や花笠音頭などの華やかなパレードです。
↓
本宮、前宮に分かれ(5/3)、それぞれで
建御柱(5/4)・・4本建てます。
後日、前宮の建御柱について詳しくお伝えしようと思います。
下社
※上社と異なり、伐採は御柱祭の1年も前に行われるため、木も水分が無くなる分、軽くなり1本当たりは6~8トンになります。
『棚木場(たなこば)』からスタート。(4/9、10)
↓
木落し(4/9~11)・・傾斜は上社より更に急な約35度を100m下ります。下社最大の見せ場です。氏 子さんたちは木をまたいで振り落とされないように木と共に傾斜を滑ります。もっとも危険な場所だと言われています。
↓
里曳き(前夜祭5/7。里曳き自体は5/8)
↓
春宮、秋宮に分かれ、それぞれで
建御柱(5/10)・・4本建てます。今回は下社春宮一(一本目の柱)の建御柱の際に氏子さんが3名落下し、そのうち 2名が亡くなるという大惨事が起きました。
御柱祭はかなりの危険を伴う行事で、毎度の様に死者や負傷者が出ますが、このお祭りは宗教行事であって危険であっても無くなることはないのでしょうね。
御柱祭の年は地元の企業やお店は仕事にならないとも聞きます。全てではないのでしょうが、それだけ地域全体が祭りに掛けているのが分かります。一種この地域全体が神懸かりになるようです