サレジオ教会にて

サレジオ教会での挙式

(サレジオ教会の聖堂)

先日の記事(→フラワーガールを務めました。)の舞台、サレジオ教会(カトリック碑文谷教会)についてご紹介しようと思います。

サレジオ教会
→1954年に完成。
そのとしに東京国立博物館でキリシタン時代の有名な聖画像が発見されたことにちなみ、その絵の「江戸のサンタマリア」に捧げられた聖堂です。

江戸のサンタ・マリア
江戸のサンタ・マリアの絵のアップ(複写)
 (江戸のサンタ・マリア) (江戸のサンタ・マリアの実物大複写)


サンタ・マリア=聖マリア・・つまり聖母マリアのことです。
この名称は江戸のキリシタン史に由来しています。

聖フランシスコ・ザビエルが来日したとき、聖母の祝日だったため、聖母マリアを日本の保護者とし、日本の信者たちはその後の長い迫害の時代も聖マリアの造の前で信仰を明かし耐えたのです。

この「江戸のサンタマリア」はイタリア生まれのシドッティ神父が持ってきたとされています。シドッティ神父は日本最後のキリシタン・バテレン(神父)として知られています。
1708年10月10日、鎖国時代の屋久島に上陸し、そのまますぐ逮捕されました。そして長崎の奉行所に連行され、同年の12月に江戸の幕府に送られました。

当時の幕府の命令で彼の尋問にあたった儒学者・政治学者の新井白石は「西洋紀聞」に同神父と彼の所持品を記録しました。
それにより、この絵が持ち込まれたことが確認されています。

シドッティ神父はその後、江戸の「キリシタン屋敷」に監禁され、同牢屋の番人夫婦に教えを伝え、洗礼を授けたためにその中で殉教しました。

「江戸のサンタ・マリア」と呼ばれるこの絵はイタリアの画家、ドルチ師作の「悲しみの聖母」という絵です。服から指を出していることから、「マドンナ・デル・ディト(指の聖母)」とも 呼ばれています。

サレジオ教会では右側の横入り口から入ると、正面の壁に飾られている同画像の実物大複写を見ることができます。

なんだか深い絵・・・。
複写とはいえど語る言葉もないほど、胸が詰まりました。 

サレジオ・・と呼ばれる由来は、この聖堂を創設したサレジオ修道会に因んだものです。

建築様式はロマネスク式で 奥行47m。幅16m。高さ23m。塔の高さが36mです。
塔の最上部には鐘楼があり、ラ・ミ・ドの美しい音色を奏でる鐘があります。こちらはミラノの信者ガルトルッコ氏の寄付によるものです。

聖堂内は美しいステンドグラスキリストの生涯を伝えています。
これはヨーロッパの教会でも同様ですが、文字の読めない人にも聖書を伝える役割をするそうです。

サレジオ教会の壁、天井のフレスコ画はフェラーリ修道士の5年にわたる心血の労作です。

リハーサル

(挙式リハーサル)

リングボーイとフラワーガール。
実はアンの幼稚園もカトリック系のところに通っています。

PICK UP!

アンにねだられている物のひとつがマリア様グッズ。
マリア様の小さな像が欲しいらしいのですが、なかなか見つからない。
ヨーロッパではよく見かけるのにね。
今持っている唯一がマリア様のメダル。首からよくさげています。

こちらはロケットタイプのマリア様のペンダント、やさしいマリア様に見守ってもらえそうです。